2009年07月02日

新・刑事コロンボ 48話「幻の娼婦」

新・刑事コロンボ「幻の娼婦」
Sex and the Married Detective / 1989

作品の良さがわかりません…


女性心理学者ジョーン・アレンビーが恋人でもあるパートナーのデービッドを殺害。2009年BS Hi(現BSプレミアム)での放送を初めてみました。私がノーマーク時代のコロンボ作品でしたね。私の好みではありませんが、もう一度見られるチャンスがあるようなので、その機会を待つこととします。
 
▼追記(BS2での再放送を見た後に)
再放送があったので、数回見直しましたが、やはりつまらなかったです。新・刑事コロンボの第8シーズンは、46話「汚れた超能力」、47話「狂ったシナリオ」、本作品、49話「迷子の兵隊」と4作品ですが、他の3作品はそれほど悪くありません。

犯人の職業設定にも苦労したのか?


今回の犯人の職業も私としては拒絶しちゃいました。当時は視聴率へのプレッシャーから様々な努力をしたのでしょうね。妖艶な絵作り・音楽…全体的にそのようなムードで描かれています。
 

見逃せないのがこのビル


番組内に登場するこのビル、65話「奇妙な助っ人」と66話「殺意の斬れ味」にも登場します。いずれも下から上に眺めるようなシーンで、同じフィルムを使い回したのでしょうか?

 
▼追記(2015年BS-TBSでの再放送を見た後に)
またまた再放送があったので、見直しましたが、やはりつまらなかったです。音楽も好きになれません…。ブログゲストから「噴水の動きに合わせて、音楽を奏でるシーンが印象的」というコメントを頂き、少しほっとしています。 
 
監督:ジェームズ・フローリー
脚本:ジェラルド・リー・ルドウィッツ
ジョーン・アレンビー:リンゼイ・クローズ
デービッド・キンケード:ステファン・マクト
 
加筆:2015年12月4日
 
 
posted by ぼろんこ at 18:24 | Comment(20) | 新シリーズ(46話〜69話)
この記事へのコメント
ぼろんこさん

この作品は、ノベライズ版もあります。
犯行の動機はまったく異なり、こちらは「裏切りへの復讐」ではなく、「自らの名誉を守るための保身」というのが動機だということです。

ちなみに、僕はこの作品のDVDを観ましたが、被害者は影で浮気相手からの質問(ジョーンをデザートにたとえると?)に「rice pudding」と答えています。

意味は「米が主材料のプディング」です。

これが字幕だと「安物のプリンだ」と出ます。
「安物」という言葉からも侮辱している感じはあります。

疑問なのは、なぜこれが「腐りかけ」に変わったのかです。英語なら「She is like a rotten pudding」と言えば成立するはずなのですが・・・(「彼女は腐ったプリンのようだ」となりますから)

翻訳は難しいです。
Posted by Me at 2013年10月07日 22:59
Meさん、お返事が大変遅くなりました、すみません。動機が「自らの名誉を守るための保身」というのは頷けました。「安物のプリンだ」のお話も、たいへん興味深かったです。ありがとうございました!
Posted by ぼろんこ at 2015年04月30日 16:13
ジョーン・アレンビーという女が復讐のためにリサという女に変装する。

これがすべてのテーマだと思うんですが、

「リサ」がちっとも魅力的じゃないんですよね。
厚化粧も見るに耐えないし、無駄に露出した黒ドレスも似合ってないし。
普段のアレンビー博士のほうがよっぽど魅力がある。

この回が面白いと思えない要因をそこに感じます。
Posted by タップおばさん at 2015年05月14日 20:55
タップおばさん「普段のアレンビー博士のほうがよっぽど魅力」は、同感です。
Posted by ぼろんこ at 2015年10月02日 22:49
犯人宅の暖炉の前で、コロンボは犯人の証拠が入ったバックを抱え込んで
会話するシーンがある。バックを抱え込んでいる意味が全く分からない。
コロンボの動作がとても不自然です。
コロンボは、常々、犯人の常日頃とは異なる不自然な行動に着眼し、そういう
細かな部分の積み上げ、つなぎ合わせて犯罪の全体像を暴いていきます。
そのコロンボがですよ、常日頃行わないような不自然な動作をしないでほしい。
いつもやっているなら、最初のシリーズからやり続けるべきで、新シリーズでも
やり続けるべきです。一貫性が無くなってくるし、コロンボの主義とも異なる。
(現場のつまみ食いは一貫性があります)
暖炉の前に置いていたバックが熱くなっていたので、それを他へ移すのであれば
理解できるが、なぜそのバッグを抱え込んでおく必要があるというのか?。
ヒヤヒヤ感を煽って緊張感を与えるという、こんな演出は止めてほしいです。
もっと内容で勝負してほしい。

また、リサは何故再登場したのか?。
黒い服は、何故早々に焼かなかったのか?。
リサは何故、コロンボを煽るような行動をとったのか?。
何故、このような演出をするのか?。
完全犯罪をし通すのであれば、どこまでも何もかも隠し通さなければならない。
犯罪者は強靭な気力、用意周到な準備、何ものにも動じない勇気を持っていて、
危ない行動を他に依らない自らの発想でとってはならないだろう。
もし危ない行動が出るとすれば、それかコロンボの圧力に耐えかねて、自分に
有利な追加証拠を捏造するための行動でなければならないはず。
その完璧なはずの犯罪者を突き崩していくところに、コロンボのだいご味が
あるのに。そこまで突き詰めて考えなくても、犯罪者は十人十色とも言える。
だがしかし、旧シリーズには無かったことなので違和感がある。
新シリーズは、一部のエピソードを除いて総じて好きにはなれません。
Posted by トレモニ at 2015年11月11日 09:06
殺人動機には、十分同情できる。
自らの尊厳を守る、恥辱を晴らすことが動機だった。
単なる私利私欲では無い。こういう場合の散り際はきれいだ。
コロンボは、罪を憎んで人を憎まずなので、動機の深いところを見ている。
そのオーラは、いつも間にか犯人へも伝わり温かく照らしていく。
これこそ、コロンボの逮捕の瞬間となる。
そういう意味では、「幻の娼婦」の終わり方は好きです。
Posted by トレモニ at 2015年11月11日 09:19
コロンボさんが、楽器を吹くシーンがありますね。あれは、なんでしょうか・・ホーン・・?
その時に見せる笑顔がとっても、素敵です(#^.^#)

噴水の動きに合わせて、音楽を奏でるシーンは、殺人とは対照的です。
侮辱されたと感じ、プライドを傷つけられ、自尊心も傷つけられた犯人の、思いつめた顔。そして、自分の人生も相手の人生も奪い取ってしまう行為。

でも、ちょっと引いて見て見れば、人生は、あの噴水のように落ちたり、上がったり、そして、時にはユーモラスでもあります。

コロンボさんの、満面の笑顔は、そんなことを示唆しているようで、印象的でした。
Posted by 宇野富士子 at 2015年12月03日 18:03
 BS-TBSの放送を観終わりました。デジタルリマスター版は最後のユニヴァーサル・ロゴの下に"ACM"ならぬ"MCA"ってハッキリ出ますね。
 皆さんご指摘の通り確かにあんまり美味しくないですね。誘惑されそうでされないコロンボにも一因があるでしょう。メトロポリタン・オペラとも馴染み深いリンカーン・センターが映るけれど、テューバとスーザフォンの掛け合いと資金集めのパーティーも、物語の本質にはあまり噛み合って見えません。仕事場の縺れた片想いの事情も、もっと上手に料理出来そうなのに。

 「幻の娼婦」から先立つこと9年前? 『帝国の逆襲』の脚本家に行き詰っていたジョージ・ルーカスは、インディ・ジョーンズの冒険を映画化する過程でスピルバーグから紹介された脚本家のローレンス・カスダンに依頼し、他の脚本家によるプロットを映画化用脚本に仕上げる事が出来ました。そのカスダンが初めて映画を監督したいと考えた時、クレジット無しで援助したのがルーカスです。『白いドレスの女』として世に出る事になりました。
 「幻の娼婦」はサックスを多用した音楽とけだるい雰囲気は『白い〜』の残り香みたいなものを感じられます。『危険な情事』や『エンゼル・ハート』、『戦慄の絆』などどんでん返しの異常心理モノ、サスペンスが多産された時期を反映したものか、「幻の娼婦」もセラピストが他人を演じる事に快感を覚え溺れていく危険な味があります。もう少し掘り下げれば「二重人格の犯人とコロンボの対決」にも結実し得たでしょう。コロンボも私生活と事件捜査で全く人格が異なっている(=二重人格)ように見えるのですから、大層スリリングな作品になったに違いない。サイコ・サスペンスしようという意識は見えながら、あちこち食指を伸ばしつつ中途半端なのがいただけない。『金曜ロードショー』で放送された時水野晴郎さんはどんな解説をされていたでしょうか。

 ちなみに昭和62年テレビで『白い〜』が放送された際、吹き替えの台詞を書いたのは『コロンボ』と同じ額田やえ子さんでした。あちこちで「黒いドレス」と繰り返されるのでイヤでも記憶に残りますが意図的なものか(苦笑)

 ヘレン役を吹き替えた麻生美代子さんは『コロンボ』を演出して来た左近允洋ディレクターの奥様。実は『サザエさん』のフネ役でもあります。『サザエさん』と『コロンボ』の吹き替えは同じスタジオで録音されていたそうですよ。どうでもいいヒトにはホントにどぉ〜でも良い接点が2点でした。お粗末!
Posted by ふきかえふぁん at 2015年12月03日 19:34
「噴水の動きに合わせて、音楽を奏でるシーン」が印象的…というコメントを頂き、心が温まりました。
 
「『サザエさん』と『コロンボ』の吹き替えは同じスタジオ」というコメントを頂き、ひゃっほ!と心で叫びました。
Posted by ぼろんこ at 2015年12月04日 20:55
 ぼろんこさん。
 『サザエさん』繋がりの小ネタをもう一つ。
 先代波平(永井一郎さん)やカツオ(高橋和枝さん/冨永みーなさん)、ノリスケとノリスケ母の出演は把握されているでしょうか。旧シリーズで何作も出演している「若本紀昭」さんのお名前にもご注目を。巻き舌ナレーションでも知られる『サザエ』穴子さん役・若本規夫さんの昔の芸名です。初代穴子さん役で今年亡くなったたてかべ(立壁)和也さんのお名前も複数作でみられます。新旧穴子共演回だってありそうな。
Posted by ふきかえふぁん at 2015年12月05日 00:51
私はコロンボ警部がチューバを吹いてくれたので
吹奏楽経験者として勝手に盛り上がっておりました。チューバ吹きは
気になるらしく、内外のチューバの掲示板にもこの件は載っており
Columbo Palys Tubaというこのシーンだけの動画もありました。

「チューバしか触らせてもえなかった」というのも、
恐らくチューバしかもう残っていいなかったという意味で
これは立派な性格描写なのです!

吹奏学部の新入生は最初に担当楽器を決めるのですが、
トランペットやサックスなど華やかな楽器は希望者が多いので、
先に定員が埋まってしまいます。控えめな性格の子は
チューバなどいわゆる中低音楽器に回されてしまうんですね。

これはアメリカも日本も同じで、吹奏楽経験者なら
おもわずそうそうと言ってしまうのではないでしょうか?
奏者をみていてもコツコツ型の性格の人が多いですね。
まさにコロンボにピッタリの楽器です。
日本の学校では課外クラブ活動ですが、アメリカの吹奏楽は
芸術科目授業の選択の中にあるので経験する人ははるかに多く、
共感した人も沢山いたと思います。

演奏吹き替えは「未知との遭遇」(1977)のあのコンタクト
の5音の旋律を吹いたスタジオプレヤーのジム・セルフ氏なのか
もしかして有名なチューバ奏者ロジャー・ボボ氏なのか?
彼がロサンゼルスフィルハーモニックに在籍していたのは
1964-1989 なのでギリギリ時代も合っています。
しかし証拠が見つかりません。

またこのホールはロサンゼルスの総合芸術施設ロサンゼルス・
ミュージックセンター内にある歌劇場ドロシー・チャンドラー・パビリオンで
かつてはアカデミー賞の授賞式が行われていたそうです。
NYのリンカーンセンターに似ていますが、
リンカーンセンターの噴水は池に設置されていて、
地面から噴き出す方式ではないし、
あのヘンテコな形のモニュメントがありません。

偏った内容で長文失礼しました。

Posted by テッド at 2015年12月16日 23:55
私はコロンボ警部がチューバを吹いてくれたので
吹奏楽経験者として勝手に盛り上がっておりました。チューバ吹きは
気になるらしく、内外のチューバの掲示板にもこの件は載っており、
コロンボ プレイズ チューバというこのシーンだけの動画もありました。

「チューバしか触らせてもえなかった」というのも、
恐らくチューバしかもう残っていいなかったという意味で
これは立派な性格描写なのです!

吹奏学部の新入生は最初に担当楽器を決めるのですが、
トランペットやサックスなど華やかな楽器は希望者が多いので、
先に定員が埋まってしまいます。控えめな性格の子は
チューバなどいわゆる中低音楽器に回されてしまうんですね。

これはアメリカも日本も同じで、吹奏楽経験者なら
おもわずそうそうと言ってしまうのではないでしょうか?
奏者をみていてもコツコツ型の性格の人が多いですね。
まさにコロンボにピッタリの楽器です。
日本の学校では課外クラブ活動ですが、アメリカの吹奏楽は
芸術科目授業の選択の中にあるので経験する人ははるかに多く、
共感した人も沢山いたと思います。

演奏吹き替えは「未知との遭遇」(1977)のあのコンタクト
の5音の旋律を吹いたスタジオプレヤーのジム・セルフ氏なのか
もしかして有名なチューバ奏者ロジャー・ボボ氏なのか?
彼がロサンゼルスフィルハーモニックに在籍していたのは
1964-1989 なのでギリギリ時代も合っています。
しかし証拠が見つかりません。

またこのホールはロサンゼルスの総合芸術施設ロサンゼルス・
ミュージックセンター内にある歌劇場ドロシー・チャンドラー・パビリオンで
かつてはアカデミー賞の授賞式が行われていたそうです。
NYのリンカーンセンターに似ていますが、
リンカーンセンターの噴水は池に設置されていて、
地面から噴き出す方式ではないし、
あのヘンテコな形のモニュメントがありません。

偏った内容で長文失礼しました。

Posted by テッド at 2015年12月16日 23:58
連投ですいません。ストーリーについても真面目に(?)
考えてみました。ぼろんこさんをはじめ皆さんこのエピソードが
お気に召さないようですが、もしかするとドラマではない部分に
隠された真の主張があるせいではないでしょうか?

心理学の名の元に“性”をあからさまに語ったり
分析したり、あまっさえビジネスにまでしてしまう人種へ
の抗議がこのエピソードに隠されているのでないでしょうか?
主人公の男性同僚達が道化のように描かれているのも
最後のモノローグも、それを裏付けているように思えるのです。

もしかしたらこの手のタイプの女性オピニオンリーダーに
対する批判が本音なのかもしれません。むしろ嫌悪感かも。
これをまともに主張するのは危険です。女性差別と
言われかねない内容ですし。でもドラマとしてなら安全です。
エンターテイメントだと言い逃れができます。

筋書き自体はありがちな内容です。他人にあれこれ性の指南をしておきながら、
パートナーの浮気を知ると侮辱をはらすために(もしくは保身のため)殺人を
犯してしまう。医者の不養生ならぬセックスセラピストの浮気知らずというべきか。
盛んに性生活にゲームの取り入れることを推奨していましたが、
不実はその範囲には入らなかったのか?
とにかく古典的ストーリーを単に舞台回しに使っているように思えます。
スパイスとして変身願望(多重人格?)を加え、性にかかわる
テーマは嫌悪感を感じる人も多いでしょうから噴水&音楽シーンは
気分転換用お口直し?(確かに私は上の通りまんまと気分転換させられました)

言いたい事が別にあり、無理矢理ストーリーを仕立てたことが
全体として違和感を感じさせるのかもしれません。ちょっとうがち過ぎでしょうか?
本当のところどうなのか脚本家に聞いてみたいですね。
状況証拠だけの勝手な推理失礼しました。
Posted by テッド at 2015年12月17日 00:24
 テッドさん。
 >ドロシー・チャンドラー・パビリオン
 そういえばそうだ。リンカーン・センターだったらLAPD所属なのに「コロンボNYへ行く」になってしまいますね。ありがとうございます。
Posted by ふきかえふぁん at 2015年12月17日 04:08
重ね重ねしつこく書くが、かばんの中身でヒヤヒヤさせるのは止めて欲しい。
それも場所を分けて引っ張りすぎだろう。

最後、コロンボは、ジョーンの内面の真実と真正面から向き合った。
ジョーン:これで自白したわけだけど、教えて。
     わたしを軽蔑なさる?。
・・・・・・・・・・・・・・
コロンボ:先生との会話はとっても楽しかったし、
     それに、よーく分かったつもりですよ。

ジョーンはコロンボの証拠固めと追及とに敗れたわけだが、
これほどの「やさしさに包まれたなら」、ある意味本望だっただろう。
犯人と向き合うコロンボは、好きです。
背を向けるコロンボは、大嫌い。
Posted by トレモニ at 2015年12月27日 19:55
はじめまして
素晴らしいサイトですね
コロンボ情報が充実していて楽しんで拝見しております
この作品は女性の変身願望やらセックスカウンセリングやら見ている方としては置いてけぼりだった印象です
とはいえやたら記憶に残っている作品でもあります
なぜならジョーンが空港から引き返す(この予定外の行動が殺人の動機になりますが)シーンで『コロンボの舞台はロスだからこれはロサンゼルス空港か、じゃあここはダイハード2の舞台になった場所かな』と思った矢先に「ジョン・マクレーン様」という呼び出しの場内アナウンスがかかるせいです
日本側のスタッフの仕業かと思ったんですがオリジナルでは「Mr.ブルース・フィリプス」が呼び出されているようです
スティーブン・スペルバーグ少年のようなトボケた名前(笑)
これは完全にダイハード2を意識したお遊びですよね
ちなみにダイハード2は1990年公開なので本作品の翌年の作品ですが、制作時期が被っていても不思議じゃないです
ロス市警のコロンボ警部とジョン・マクレーン警部補がニアミスしているなんて想像するだけでニヤニヤしてしまいます
Posted by ぶらんこ at 2016年02月12日 04:28
犯人の彼女は、支配者を抹殺したかったのだろうと、2度目の視聴で感じました。

「リサとして生きた時間が恐ろしかった。」
とラストシーンで語る内容は、とても深い意味を持つものでした。

普段の自己よりも、もっと魅力的で勇気と自信にあふれるリサを、彼女は乗り越えられなかった。

人が成長し続ける過程で、どうしてもぶち当たる壁なのだろうに・・・。
理想と現実の自己とのギャップに愕然とし、あまりの乖離にあがく事すら放棄してしまう。
本当はジタバタしてでも理想の自己を目指して、みっともなくても堂々と自己を生き切るべきなのに。。

彼女はそれが出来なかった。
理性的な知性溢れる強き女性としてのステイタスを自ら作り上げ、そのかりそめの自己の、未発達な段階のプチ成功を、「人生のすべて」と思い込んでしまった。

だから被害者と愛人の戯れている場面を見た時の嫉妬・憎悪・苦しみを自らが体験させられ、彼女自身が一番驚いたことだろう。

なにこれ?こんなの私じゃない!!
と愕然として、ついには憎悪の対象を裏切った恋人に向けた。

だって。。。
嫉妬心を抱かされたということは、<彼が私を支配してる>ということになるのだから。

彼女の多用言語の一つに「支配」がありました。
きっとそれは彼女にとっての大きな人生テーマだったのでしょうね。

もしかして父親から支配されていたのかもしれない。
「私はだれにも支配されないわ。」
という信念を持って生きてきた筈なのに、蓋をあけたら彼に支配される自己に、人生になっていた。

気づいた時に恐怖に慄いたことでしょう。
だから裏切られた腹いせに殺した、という表面上の動機を餌に、支配者を抹殺した、という根深い動機があったように感じました。

だからリサを恐れた。
自己を支配しようとしている人物が、またもや現れたから。

もっともっと自由に生きれば良かったのに。
リサのようなオンナとしての部分を恐れず表現し、周囲にどう思われようが自分らしさとして、理想を現実に転換させるように生きればよかったのに。

だから私は彼女を軽蔑しません。
コロンボの最後の言葉とも重なりますが・・。

欲しいものは欲しいと言ったほうが勝ち。
と、心底感じます。
表現したい自己をどんどん現して、周囲の評価など気にせず、自分が自分を評価してあげればいい。

自分を支配するのは自分だけなのだから。

彼女は最後に、だれの支配も受けず自由になれたのだろう。
コロンボは彼女の仮面をはがしてあげた。
良かった。
Posted by ひびき at 2016年02月15日 22:23
昨夜久しぶりに録画してあるこの作品を見ました。その後ジョン・マクレインの件で検索してここが見つかり
皆さんの感想を呼んで、なるほどとうなずくことばかりです。

ストーリーとしてはあれですがこの作品は、日本のアニメでいう温泉回、みたいかなとも思いました。
コロンボのためのコロンボ作品、

ところどころにニヤッとするお遊び、意外な一面がちりばめられていて私は大好きです。
帰った後のお約束のもう一度は過去最大回数ではないでしょうかw思わず笑いこけました。
窃盗犯との話し合いで 掛け合いの中
俺、白なの?というながれが笑えました

心理的には抑圧を受けた後の行動など典型的でわかりやすくよくできていると思います。
カウンセラーがコロンボに相談しちゃうシーンではその答えが素敵でチューバと共に彼を身近に感じられました

後死体が瞬きしちゃうのも、わざとかもしれません、安物の映画の真似をしたお遊びかなとも思えます(宇宙船をつるしているワイヤーをわざと映すようなノリ)

あとこの原題を見てすぐに同年代の映画の
Sex, Lies, and Videotape
を思い浮かべました
Posted by 鹿化人 at 2016年07月03日 11:14
コメントでは始めまして。
もう何周目かの、コロンボファンですが、
「幻の娼婦」私はだいぶ好きになりました。
そこでぜひ、弁護させて下さい!
 
確かに私も初見では、期待はずれに思えました。
が! 
何度も何度も、見ているうちに、
わかったような、気がしてきました。
以下、「気がした1ファンの戯言」ですが…
 
まず、女性セックスカウンセラーの心理学者と言う、
職業設定自体は、必ずしも悪くないと思いました。

会話を武器に、犯人を追い詰めるコロンボですが、
こちらが追い詰める分、犯人からも切り返して来る、
それが性的な事で、コロンボが苦手分野☆と言うのは、
意外な強敵感があって、ひとつのアイディアと思ったんです。
 
思えばこの、様々な「会話・話術・口八丁手八丁」で、
コロンボと攻防する、バリエーションがあっても良い♪
私なら、アクションされるより歓迎で、会話戦が良いです(笑)
 
ただ問題は、そこじゃなかった!
 
みなさんも言われているように、このお話のテーマは、
「アレンビーが、犯行のためにリサになるが、
 演技のはずのリサに、主人格が入り込んでいく。」
と言う事だと思うんです。

最初は犯行のための、ただの手段、
きっかけに過ぎなかった「リサ」だったのに、
アレンビーを見下していた、デービッドもメロメロ。
みんなの注目の的で、殺人さえうまくやれた!
リサの正体は、アレンビーのはずなのに、
アレンビーでは、頭打ちだった事が、
リサになれば、あれも、これも出来る。
じゃあ、リサでいるほうが良いじゃない?
 
そんな、手段と目的が、入れ替わる恐ろしさが、
「幻の娼婦」ではないかと思います。
 
そう言う「幻と実体」「昼と夜」「健全と秘め事」
とでも言う対比や、アクセントが、
作品全体に、ちりばめられている気がするんです。
 
ところがそれが、すごくわかりにくい。
何が一番大事なのか?テーマなのか?が、
ぼやけていたり、途中で変わる感じなんです。
 
ただ、やはり、
最後のアレンビーと、コロンボの会話を聞く限り、
「一度、アレンビーから、リサになったら、
 リサを捨てられず、リサになってゆく、
 アレンビーのサイコドラマ〜変身の怖さ」
が、
主題のはずと思うんですよね。
 
でね、前提全部ブン投げるように、聞こえるかもですが、
だったら、アレンビーの職業は、
「セックスカウンセラーじゃないほうが、良かった」
ように、思えてきたんです。
 
通常の心理療法家、カウンセラー、
セラピストとして成功して、
恋も仕事も、地位も名誉も得た!
性的な事は職業上の、知識として知ってはいても、
むしろあまり、直視してこなかった。
が、成功と言う事実が、自信になって、
これでちゃんとやれてるじゃない!と。
でも、
デービッドが、シンディに流れたと知り、
意を決して、大人の魅力のセクシーな女性になる。
すると…、こっちのほうが上手く行く!?
 
変身後が、妖艶な娼婦なのですから、
変身前は、反対のカラーやキャラのほうが、
見るほうは、わかりやすいように思うんです。
 
逆に、表の顔が性のエキスパートでは、
娼婦になっても、
「得意なスキルを活かして、外見化けた」だけに映り、
一番大事なはずの、変身と変心〜
内面の変化が、わかりにくく思うんです。
 
その上で、化けたほうのリサが、
まさに皆さんが、言われるように、
魅力的で行動的で、素敵な大人の女性に描けていたら、
 
「アレンビーでは、今が限界、
 これからは下るだけと、思っていたけれど、
 リサになったら上手く行った。
 またリサになりたい。
 リサはやめられない。」
に、
ぐっと説得力が、出たように思います。
 
すると鏡との対話シーンも、また対比の象徴に思えます。

セラピー室で、
天井の鏡を見て、自分に手を振ってみても、
自分にも仕事にも嘘が無く、裏表がないからこそ、
何も変わらないコロンボと、
自分を説得して鼓舞する、幻の、
もう一人の自分〜リサが出て来るアレンビー。
 
そう思うとここは、さらに忘れられたスターの、
逆のパターン〜ネガ・ポジの恐怖にも、思えるんです。
 
「年をとり、鏡を見て、自分が消えてゆく」
忘れられたスターと、
「頂点を過ぎたのに、鏡を見て、自分以上の自分が現れる」
現れた(幻の)スター、幻の娼婦です。
 
チューバ、バーテンダー、掃除のおばさんなどの場面も、
ドラマとしての、緩急・コントラストをつけるためでしょうが、
アレンビーが、夜、犯罪、裏の人間になったわけですから、
ここも、健康や昼間、自分の仕事に裏表なく、
楽しんだり誇りを持って働く、対比の人として、
配置されているようにも思えます。
 
本当に、私見で恐縮ですが、
「(多分)女性セックスカウンセラーと言う職業を
 (特徴的で面白いと)先に決めてしまった!?」
ために、
最後まで、お話を作ったあとで見返すと、
全体の流れや、内面変化、結論が、
むしろ、伝わりにくくなったんじゃないかと。

なぜリサの衣装がなかなか捨てらず、こだわるのか?
リスクの大きさの割りに、意味や効果があるとは思えない、
終盤のリサ再登場の挑発を、なぜわざわざしたのか?
 
「私ならしない。理解や感情移入しにくい。」
と、
思われた方が、多かったのではないでしょうか?
  
「幻の娼婦」は、名作になりえる可能性を秘め、
果敢に挑戦しながら、結果的には…
確かに、成功よりは不発に近いかも知れません。
 
一見、魅力的なトリックで、序盤のテンポも良い割に、
肝心の謎解きも、往年と比べたら切れ味イマイチで、
目の肥えたファンの方が見れば、減点箇所は多々でしょう。

それでも「幻の娼婦」では、まだ、
刑事コロンボを、コロンボとしてやろう!と、
模索して手探って、挑戦している気がする、
その意欲のような物は、買いたくなって来たのです。
Posted by P at 2017年02月16日 20:45
こんにちは。楽しく拝見させて頂いてます。

先日BSTBSで恐らく初めてこの回を見ました。なかなか興味深い、哀愁のある話でした。
嫉妬、変身願望など、犯人はとても女性的な人だと思います。
そこが恐らく男性からは理解しにくい、嫌悪感を催すところかなと。

異性とのコミュニケーションやセックスについては専門家を自負し、絶対の自信を持っていたのに
まさにプライベートで虚を突かれたそのショックが大きかったことは想像に難くありません。
白日の下に晒されれば当然商売にも差し障りあるでしょうけど
でも何よりプライドの問題ですよね。
人生って、人によって様々な試練が起きるものですが
自分が一番あって欲しくないこと、一番弱いところを試されるものかなと。
傍からみれば大したことではない、ありきたりな失敗、よくある不幸でも。
本人にとってはこれ以上ない衝撃なんですよね。
そこが個人的にしみじみ思うところでした。

リサは、日本人から見れば確かにとうが立っているのですが、
当時のアメリカ人の美的基準からすれば、わかりやすいセクシーな美女なのかなと。
普段のジョーンはエグゼクティブ風で、恐らくセクシーではないんでしょうね。
浮気現場のプリンの例えで、英語では「腐った」とは言っていなかった..
というコメントがありましたが、
その感覚の違いがありそうな気がして面白いです。

チューバのシーンですが、性的な会話が続き、結構ヘビーなので
視聴者にほっと一息ついてもらうために入れたのだろうと思いました。子供も出てきますしね。
チューバしか触らせてもらえなかった、は私は逆の意味にとりましたよ〜^^
この回だったか別の回かで、コロンボは子供の時好きな子にちょっかい出したり、
結構ワルガキだったような描写があったので、あまり小さい繊細な楽器は触らせてもらえなかったのだろうなと。壊すから。

私の仕事は刑事です、善悪は裁きませんが...というも名台詞と思いました。
黒い衣装をつい捨てられなかった、犯人の人間的な弱さ。女性特有の弱さでもあります。
それを理解できるコロンボは、女性の気持ちも分かる男ということなのです。
優しいですよねえ。優しいから、犯人もわかるんですよね。









Posted by s at 2017年06月04日 22:47
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I ask foreigners.
Please do not write a comment. Please do not break my important thing.
I think that you can understand. I appreciate your self-control.

筆者ぼろんこが1970年代にNHKの総合テレビで刑事コロンボに出会った頃は小学生でした。それから30数年後の2009年にNHK BSで再会した時、その素晴らしさにあらためて感銘し、自分なりの解釈をブログに書きためるようになったのでした。